宇都宮 和代
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Zoppè di Cadore 方面から見たM. Pelmo |
二回目と三回目に試みたトレッキングについて簡単に述べたい。まずは一番はじめに紹介したコルダーイ山(
Monte Coldài 2403m) とはペルモ山を挟んで反対側、つまり裏側からペルモを眺める趣向で、登山口直下にあるヴェネチア小屋 (
Rifugio Venezia al Pelmo 1946m) にたどり着くコース。つまり、ペルモに登りたい人はこの小屋を起点とすることになる。
出発点のゾッペ・ディ・カドーレ(
Zoppè di Cadore 1461m)からは往復でほぼ4時間。この道もほかの数ある山道同様、「第一次大戦時」(
per la Grande Guerra del ’15-18) につくられた「古の軍用山道が元だから、快適」(
... è facile e comoda, su strada di origine militare...) と解説書が書く。あの時代、優雅な山歩きなどではさらさらなくて、徴兵されたまま多くが命を落としたであろう若き兵士たちの痕跡は、地元の人々ならくまなく追跡するのも可能だろう。でも、我らは活字を拾ってわずかばかりに後追いし、この美しい自然の中でねえ、などとため息をつくだけである。
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M.Pelmo 登山口周辺 |
さてこの日は傾斜もわずか、ほぼ平坦なかなり広い山道で、ところどころに動物の往来を遮断する柵が設けられている。実際、カモシカなんぞにこそ出会えなかったものの、あちらの林では首に鈴をつけた牛が寝そべり、こちらの山の上では裸馬の群れがいっぱい、といった具合で、人里はなくとも生活の匂いに事欠かない。それでもストックを二本持ち肌は晒さず、扮装だって山行きのちゃんとした男たちがあちらにもこちらにも……。つまりは、かれらこそが山男で、たとえその日は散歩してたって、ヴァカンス登山者たちとは一線を画すのだ、やっぱりねえ。
昼食後、もう動くのはヤダ、という相棒をヴェネチア小屋に残したまま、ペルモ山の登山口を探ってみた。トレッキング・ルートから外れて少しだけ脇に入り、一路細い道を登っていく。誰も来ない。それでも小屋から
15分も歩けば着いてしまう、はずだ。あとちょっと、ちょっとだけ。やがて木々も草も消え失せて、真っ白な細かい砂利ばかりになり、足元が滑る。滑らないところをどこにも見つけられない。危ない!こんな軽装登山靴ではダメなんだ、きっと。だけど、そろりそろりであっても、急傾斜の、その直前まではどうにかして行ってみたい。そこから頂上までは7時間だと冊子にある。近景も遠景も、ここまで来ると、どちらも景色ががらりと変わる。気のせいか、下界とは異なる危険な気配がにわかに立ち上り、警鐘を鳴らし始める。でも壮大だ、なんか、すごい、美しい。
後ろから、中年男性が独り、登ってきた。颯爽とした早い足取り。昼から頂上まで登るの?まさか……?だって荷物がわずかだし。こちらは颯爽、なんてまるでダメ。終始へっぴり腰で、にわかに心細くもなってきて、急傾斜の「直前」までだってたどり着けそうもない。ここは君子危うきに近寄らず。足首でも挫いたらコトである。諦めてまた、そろりそろり。引き返して一見落着した。やっぱり残念だ。
I SENTIERI DI ZOLDO RIFUGIO VENEZIA (Alba Maria De Luca) AL PELMO (1946m)
- Difficoltà: facile, anche per bambini
- Tempo: ore 3-5 AR
- Dislivello: 400 m
- Segnaletica CAI: 456, 493, 471
- Acqua: sì, lungo il percorso
- Posti di ristoro: rifugio Venezia
- Punto di partenza: Zoppè di Cadore
- Anche invernale (CASPE): sì
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Fifugio Remauro
の駐車場=ホンダのエンジンを搭載した(?)イタ車 |
三回目のルート。前日のヴェネチア小屋コース途中でたまたま出会った山男の一人が親切にも教えてくれたルートをたどってみることにした。「行けば
360度の景色を楽しめるよ」。それ、いいではないの。レマウロ小屋(
Rifugio Remauro 1532m) までは車で行ける。そこから五人乗りのミニバスに乗る。運転手はやや年増の痩せた精悍な感じの女の人で、山ガールのなれの果て、という感じ。曲がりくねった狭い山道を慣れたハンドルさばきでかなりな速度で登っていく。一車線、しかも谷側にガードレールがない!怖い。バーを握る手に思わず知らず力が入る。絶え間なく無線で連絡を取りあっているのは、下ってくるバスと隘路で鉢合わせしないためである。日光のイロハ坂みたいなジグザグ斜面を登りきれば、バスの終点から目的地の山小屋は目の前だ。
10分ほど歩いて上までたどり着くと、本当に展望がいい。谷間の集落も、奥へと続く街道も、小さな小さな湖も、もちろん並み居るドロミテ山塊も、みんな見える。もしかして
Tre Cime も見えるかも、と期待したけど、これは駄目。途中にある山々に遮られ、この高さ(
2177m)では無理、残念だ。
ドロミテ小屋(
Rifugio Dolomites) は登った中では一番立派な施設である。中のバールの親父さんに話を聞いた。小屋には
8人部屋がいくつもあって、新婚さん用の部屋だってある。宿泊案内のパンフをくれた。いつか泊まろうか?楽しいかも、きっと……。山頂に鉄塔がある。工事中の人々がいる。周囲の山を従えたペルモ山の威容もここから見たら、また格別だ。
帰途は、バスには乗らず、同じ道を歩いて下山。時折通過するバスが巻き起こす濛々たる砂塵に悩まされつつ、
7kmほど歩いて無事に駐車場にたどり着いた。傍に木工品の作業場と直売所がある。その隣、林の中には、山岳パトロール隊の若者が墜落死した、その鎮魂碑がヘリの無残な残骸とともにひっそりと佇む。そのまわりを子どもたちが駆け回り、脇で若い娘が燻製肉を売っている。香料を一面にまぶした肉を見つけた。見るからにおいしそうだ。いっぱい買い込んだ。旅の終わりの荷物の底に忍ばせて帰国しよう。旅の土産をやっと見つけた思いだ。成田で税関に見つかったらことだけど、それは運を天に任せることにしよう。幸い、無事に持ち帰ることができた。美味しかった!
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Rifugio Remauro (1532m) |
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Rifugio Dolomites (2177m) から遠望したDolomiti
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一昨年のアオスタ渓谷滞在時にはモンブラン(
Le mont Blancイタリア語ではモンテ・ビアンコ
Monte Bianco 4807m)を仰ぎ見た。マッターホルン(
Matterhorn 同じく、こちら側ではチェルヴィーノ
Cervino が山の呼称
4477m)を裏側から眺めることができる。他にも知らぬ者とてない
4000m 級の山々が連なり、町にはスキー客を当てにした高級ブティックさえあって、夏でさえ何げに華やいだ雰囲気が漂う。西北部域一帯は、国境越えの峠ひとつでさえ、数々の歴史に彩られ、紀元前の頃からすでにあまねく知られた要衝地点である。対するにドロミーティ?はてな?と思った人は私だけではないだろう。旅の途中でイタリア人以外にあまり行きあわなかったのは多分偶然ではないだろう。日本人?今回は一人も見かけなかった。たった一週間の、ほんとうにわずかな滞在だったから、そもそも予備知識も碌になかったから、そうしていまだに全容を把握できないでいるから、おさまりのつくようなことが書けないでいるけれど、普段着の人々と語れたことは悪くなかったし、垣間見えたことも少なくなかった。この次はちゃんと準備をして、知識も蓄えて、また出かけたい、あの尖った山々に。
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