宇都宮 和代
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Zoppè di Cadore 方面から見たM. Pelmo |
出発点のゾッペ・ディ・カドーレ(Zoppè di Cadore 1461m)からは往復でほぼ4時間。この道もほかの数ある山道同様、「第一次大戦時」(per la Grande Guerra del ’15-18) につくられた「古の軍用山道が元だから、快適」(... è facile e comoda, su strada di origine militare...) と解説書が書く。あの時代、優雅な山歩きなどではさらさらなくて、徴兵されたまま多くが命を落としたであろう若き兵士たちの痕跡は、地元の人々ならくまなく追跡するのも可能だろう。でも、我らは活字を拾ってわずかばかりに後追いし、この美しい自然の中でねえ、などとため息をつくだけである。
M.Pelmo 登山口周辺 |
昼食後、もう動くのはヤダ、という相棒をヴェネチア小屋に残したまま、ペルモ山の登山口を探ってみた。トレッキング・ルートから外れて少しだけ脇に入り、一路細い道を登っていく。誰も来ない。それでも小屋から15分も歩けば着いてしまう、はずだ。あとちょっと、ちょっとだけ。やがて木々も草も消え失せて、真っ白な細かい砂利ばかりになり、足元が滑る。滑らないところをどこにも見つけられない。危ない!こんな軽装登山靴ではダメなんだ、きっと。だけど、そろりそろりであっても、急傾斜の、その直前まではどうにかして行ってみたい。そこから頂上までは7時間だと冊子にある。近景も遠景も、ここまで来ると、どちらも景色ががらりと変わる。気のせいか、下界とは異なる危険な気配がにわかに立ち上り、警鐘を鳴らし始める。でも壮大だ、なんか、すごい、美しい。
後ろから、中年男性が独り、登ってきた。颯爽とした早い足取り。昼から頂上まで登るの?まさか……?だって荷物がわずかだし。こちらは颯爽、なんてまるでダメ。終始へっぴり腰で、にわかに心細くもなってきて、急傾斜の「直前」までだってたどり着けそうもない。ここは君子危うきに近寄らず。足首でも挫いたらコトである。諦めてまた、そろりそろり。引き返して一見落着した。やっぱり残念だ。
I SENTIERI DI ZOLDO RIFUGIO VENEZIA (Alba Maria De Luca) AL PELMO (1946m)
- Difficoltà: facile, anche per bambini
- Tempo: ore 3-5 AR
- Dislivello: 400 m
- Segnaletica CAI: 456, 493, 471
- Acqua: sì, lungo il percorso
- Posti di ristoro: rifugio Venezia
- Punto di partenza: Zoppè di Cadore
- Anche invernale (CASPE): sì
Fifugio Remauro の駐車場=ホンダのエンジンを搭載した(?)イタ車 |
ドロミテ小屋(Rifugio Dolomites) は登った中では一番立派な施設である。中のバールの親父さんに話を聞いた。小屋には8人部屋がいくつもあって、新婚さん用の部屋だってある。宿泊案内のパンフをくれた。いつか泊まろうか?楽しいかも、きっと……。山頂に鉄塔がある。工事中の人々がいる。周囲の山を従えたペルモ山の威容もここから見たら、また格別だ。
帰途は、バスには乗らず、同じ道を歩いて下山。時折通過するバスが巻き起こす濛々たる砂塵に悩まされつつ、7kmほど歩いて無事に駐車場にたどり着いた。傍に木工品の作業場と直売所がある。その隣、林の中には、山岳パトロール隊の若者が墜落死した、その鎮魂碑がヘリの無残な残骸とともにひっそりと佇む。そのまわりを子どもたちが駆け回り、脇で若い娘が燻製肉を売っている。香料を一面にまぶした肉を見つけた。見るからにおいしそうだ。いっぱい買い込んだ。旅の終わりの荷物の底に忍ばせて帰国しよう。旅の土産をやっと見つけた思いだ。成田で税関に見つかったらことだけど、それは運を天に任せることにしよう。幸い、無事に持ち帰ることができた。美味しかった!
Rifugio Remauro (1532m) |
Rifugio Dolomites (2177m) から遠望したDolomiti |
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